6年の時を経て私をジャニヲタに舞い戻らせた中島健人くん

文章を書くのが苦手なのでトレーニングも兼ねて書いていく。ソロコンを終えて思うことを書こうと思ったのだが、その前に私のジャニヲタ遍歴を通して中島健人くんの担当になった経緯からお話しようと思う。遡ること7年。私は小学校を卒業し、中学生活を楽しんでいた。それまでジャニーズとの関わりといえば、朝の会で合唱曲としてKAT-TUNのReal Faceや嵐のきっと大丈夫を歌ったり*1、クラスの全女子がハマっていたと言っても過言ではない「花より男子」「野ブタ。をプロデュース」を観ていたぐらいだ。母も非ジャニヲタで、仲の良かった友達の中にもジャニヲタはいなかったため、”ジャニーズ”の人たちを”ジャニーズ”という括りで意識したことはなかった。そんな風に平凡な日々を過ごしていたのだが、ある日あるアイドルに出会った。

Hey!Say!JUMPの山田涼介くんである。友達の家に遊びに行った時にアイドル雑誌ポポロを見せられ*2、脳に電撃が走った。山田くんに恋に落ちたのだ。なんだこのかっこいい人は。結婚して!この年代にありがちな脳内お花畑本気愛ジャニヲタになったのだった。そうしてすぐに母に頼んでCDショップに連れて行ってもらい、はじめてお小遣いで買ったCDは当時の新曲「Dreams Come True」だった。毎日特典DVDを見て妄想しニタニタしながら山田くんへの届かぬ恋心を深めていった。その後は発売されるCDや雑誌を購入したりファンレターを書いたりコンサートにも足を運んだりと順調にジャニーズの追っかけをしていた。山田くんが中学校を卒業する際に、遠くにいってしまうようで寂しいとの旨の激重失恋手紙のようなものを送ったのも今ではいい思い出だ。

だがしかしその恋心も長くは続かなかった。ハマって1年が経とうとしていたときに参加した「Hey! Say! JUMP CONCERT TOUR '09春」を機になぜか気持ちが一気に冷めていった。はっきりした理由は思い当たらないが、おそらくJUMPを見る機会が減ったことが原因だと考えている。テレビ番組への出演も少なく、当時Twitter等のSNSはおろか携帯電話すら持っていなかったので情報を手に入れることもできなかった*3。また、JUMP担の友達がいなかったので情熱を誰かと共感することもできなかったのもその一因だろう。触れる機会が減ると興味も薄れていくタイプであるため*4必然的でもあるのかもしれない。こうして一旦ジャニーズから離れジャニーズに燃えない時期が続いたが、夏休みに従妹と会った際にNYCboysのCD特典のDVDを見せられ勢いでCDを2バージョンとも購入し、片足だけジャニヲタに戻らされた。だが長くは続かず、それからは茶の間以下のレベルでジャニーズに接していた。もうジャニヲタに戻ることはないだろうと思っていた。

それから6年。平和に高校生活を送っていた私に転機が訪れた。

2012年11月22日*5のことだった。秋も深まってきてテスト勉強に追われていたある日、私は母*6と音楽番組でKis-My-Ft2の曲(詳しくは覚えていないがおそらくEverybody Go)を聞きながら他愛もない会話をしていた。私がSexy Zoneに出会うことになったきっかけはこの一言。「ジャニーズにはキャーポイント*7のある曲が多いよなあ。そういえば新しくデビューしたジャニーズの曲で意味わからんセリフ言ってるやつなかったっけ」そこで私と母はHDDにある音楽番組に奇跡的に録画されてないかひたすら調べた。するとその中に、弟が毎週録画していたMUSIC JAPANを見つけた。(グッジョブ弟!!!!)そこには季節はずれの真っ赤なサンタの衣装身を包み、「Sexy Summerに雪が降る」というわけのわからない曲をキラキラした笑顔を振りまきながら歌って踊る5人の少年がいた。タイトルのトンチキさに困惑しながらも見ていると、目当てのキャーポイント=メリークリスマスまでたどり着いた。ゲラゲラ笑いながら繰り返し再生していくうちに「あれ?この子らかっこよくね?」となった。母と誰を担当にするか、健人くんにしようか風磨くんにしようか話しながら*8気持ちが健人くんに傾いていった。単純に顔がかっこいい、それが一番の理由だった。そして晴れて中島担になった私はテスト期間にも関わらず毎日帰宅してすぐレコーダーを立ち上げ、2分ほどの映像を1時間ほどひたすら繰り返していた。当時MJしかSexy Zoneを見ることのできる映像が手元になかったため来る日も来る日も少しでも時間があれば再生していて数百回は見たのではないかと思う。

健人くんと風磨くんのことはずっと前から認識していた。それはすべて山田くんのおかげである。NYCboys中山優馬w/B.I.Shadow、スクラップティーチャーなどで山田くんを通して知った。余談だがスクラップティーチャーが放送されていたときは高畑岬くんのことが好きで、JUMPにコンサート時に団扇を作っていくくらいだった。この時点では、中島健人くんはお調子者でどちらかというと苦手だと感じていた。たびたび耳にするが、このように感じていた現中島担は多いのではないかと思う。それが今や担当を名乗るほど好きになってしまうのだから人生は何が起こるかわからないなと20歳にして感じている。そして山田くん目当てで買ったスクラップティーチャーにもNYCboysのDVDにもコンサートDVDにも中島健人くんが映っている。もう売ってしまおうかと思っていたが、本当に売らなくてよかった。過去の自分にこんなに感謝したことはなかった。


私だけではないかもしれないが、興味を持った対象のことは知り尽くしたいタイプなので暇さえあればSexy Zoneのメンバーや中島健人のことを検索ていた。そこで衝撃を受けたのは、ネットで中島健人と検索をかけてみると溢れ出てくるラブホリ伝説の数々。毎日検索しても目新しいラブホリ伝説ばかりがでてくる。最初はただのかっこいい人と思っていたがかわいらしい一面や彼の仕事に対する姿勢などアイドルという職業を通して彼を知っていくうちに彼を尊敬するようになった。健気で一生懸命で考え方も社会人男性として素晴らしい(私は社会人を経験してないのでわからないけど)、でも意外と年相応な面もあったり。そうしているうちに彼の一生を、Sexy Zoneの未来を見守っていきたいと思うようになった。彼ら、心を掴んで離さないんですよ。彼らの見せてくれる世界にワクワクが止まらない。



今現在、私はアイドル中島健人を愛してやまない。限りなく箱推しに近い中島担である。こんなに素晴らしい世界を見せてくれ、日常に潤いを与えてくれた健人くんには感謝してもしきれない。ハマった当初は飽き症の私のことだから一年持てばいい方かなと思っていた。だが恐ろしいもので、かれこれ3年が経とうとしている。もうこうなったらずっと離れねーぞ!!!粘着質なファンを持ったこと後悔すんなよ!!!一生幸せにしてくれよな!!!


これからも健人くんにはSexy Zoneの入り口となって、たくさんの人をを幸せにしてほしい。





(最後のほう雑になってしまった)

*1:今思えば朝の合唱曲としては選曲がハードすぎではないかと思うが

*2:この子はジャニーズではなく、そこに載っていた俳優目当てでポポロを購入したようだ

*3:親がパソコンも使わせてくれなかった

*4:今のこのインターネットが普及した時代は私にとって非常にありがたいものである

*5:記念日のごとく覚えている

*6:7年前、私と共に山田担をしていたためジャニーズにはある程度詳しい

*7:曲中にタレントがイケメンセリフを言い、ファンが叫ぶところを母とこう呼んでいる。JUMPの真夜中のシャドーボーイのシャドーや、Sexy ZoneのSexy Roseなど

*8:ちなみに母は風磨担にである